こんにちは、mottsaです。この前、noteの方でちらっと書いてた、掌編小説の方が、書き上がりました。
それでは、お楽しみください。
風に吹かれて
タクシーを降り、杉林の中を進んでいく。木漏れ日が穏やかに足元を照らし、ゆらりと消える。鳥達の囀る方へ目を向けると、微かに光がささめく。現実と空想とが入り混じった足取りだった。林を出ると、熱ばむ肌を、5月の風が柔らかくすり抜ける。リネンのシャツを靡かせたこの薫風は、汗とともに何かを取り去ってくれた気がした。
僕の薫という名前は祖父がつけてくれたらしい。小学生の頃、同じクラスに薫子ちゃんという子がいて、そのせいでからかわれることも多かったっけ。名は体を表すというけれど、珍しい名前の人間は、自分の名にその身を近づけようとする。もしくは、引き寄せられるのかもしれない。どちらにせよ、屈折した光が自画像を照らしてしまう。
祖父の遺骨は、地元の神社に供養されている。県外の人に言うと驚かれるが、地元だとそう珍しくはない。何でも、明治期の廃仏毀釈運動が盛んだったらしく、その名残で神道が根強いという。
小路を少し歩く。慣れ親しんだ近道だ。曲がり角の先に、石の鳥居が見えた。立ち止まって一礼し、左手に見える手水舎で手を清める。季節は春を忘れ始めているのに、手に滴る清水は、頑固なまでに涼しげで、なぜだか心を暖かくした。
本殿へと続く石階段を登っていくと、風景が徐々に厳かになる。石畳の道の先には古びた木造の建物が佇み、その静けさが周囲の杉林と溶け合っている。祖父がここに眠っているわけではないが、供養の場として、家族は毎年この神社を訪れている。ポケットから取り出した硬貨を、賽銭箱へすっと投げ入れた。続けて二礼二拍手一礼。小さな音が境内に鳴り響く。
殻に閉じこもっていた僕を先輩は救ってくれた。現実に満足してないから、表現は生まれるんだ。あの言葉が、今の自分につながっている。けれども、時折、心にさざめく音がする。この身を削っても、青い炎はたちまちに消えてしまう。あの頃の動力に耐性がついてしまったんだ。
今の仕事は自分に合っているのかな。そう問いかけようとした時、木々が風に揺れ、光が差した。拝殿が照らされると、奥にある小さな石仏が目に舞い込んだ。苔の緑が、風化した石の灰色に溶け込むように広がっている、その信仰のかけらは、自分の薄れた情熱を映し出しているようだった。
ふと、祖父の話を思い出す。この石仏がここに移されたのは、当時の人々が仏教の名残を捨てきれなかったからだと言ってたっけ。信仰は形を変えても、心に残るもんだ。あの日の微笑んだ横顔が一瞬だけ目に浮かび、そして消えた。その言葉を聞いたときは、ただの慰めだと思っていた。けれども、今の自分には、それが揺らめく道標のように思えた。
風がカランと鐘を揺らした。涙はなかった。
(完)