文学とは

 僕はそこそこ本を読むのが好きな人です。ただ、中学生の頃とかは、推理小説を主に読んでいました。そんな僕が純文学を多少かじるようになったのは大学に入ってからでした。最初は純粋な興味と少しばかりの見栄から夏目漱石の「三四郎」、「それから」、「門」のいわゆる前期三部作を手に取ってみました。そのあとは、三島や太宰も読んでみたりして、、、

 ふと、感じたことがあるんですけど、よく”純文学”と”大衆文学”って分けられ方がされるけど、”自然的な”文学と”人工的な”文学があるのかなって。純文学って、「終わり方が煮え切らない」みたいに表現されたりすると思うんですけど、それはつまり、自然に終わりがないのと同じことなのかなと思って。起承転結みたいなはっきりしたストーリー展開があるわけじゃってところが、純文学のとっつきにくさにあるのかなと思います。

 でも、それは、純文学の方が秀でてるとかそういう話じゃなくて、根本的な性質としての差異がそこにはあるのかなって思います。「誤読でもそれは解釈の1つだよね」っていう、一種の懐の太さというかいい加減さというか、そういった側面が、結局のところ、純文学が僕の心をつかんで離さない理由なのかなって思います。

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kiyuhara tomokata